マリンライナーに乗車せよ!


ホーム旅日記


出発日:8月6日〜8月8日

はじめに・・・この旅行は、個人旅行ではなく、学校の同好会での見学ですが、ほとんど、旅行みたいなものです。予定は合って無いようなものなのですが、とりあえず、宿を取ってある岡山・総社に行けばいいと言う、アバウトな予定です。3日間の旅行ですが、主に、岡山周辺の史跡を見て回ることにしましたが、私が撮ったものは、列車が中心になってしまいました・・・・・・・
 
費用・・・青春18切符2日分、レンタサイクル500円、備前一宮→邑久:480円、その他タクシー代など諸々
 

8月6日

3415M 東海道・山陽本線 新快速 京都 823]→[姫路 955 223系電車 12連

朝の時間帯の新快速は、特急が発車する6番乗り場からの発車です。車内は、大変混んでおり、 (当たり前か!)特に変わった様子はなかったのですが、吹田を通過した辺りで、病人が発生したからだとのこと。 急ブレーキをかけられたので溜まったもんじゃありません。その影響で、新大阪到着時には、8〜9分ほど遅れて到着です。このままでは、姫路で乗り換える列車に間に合わない だろうと、時刻表を見ましたが、あいにく、姫路〜岡山間は1時間に1本で、まことに不便なダイヤだとつくづく感じました。駅に着く度に、車掌が「ただ今○○駅を△分遅れて発車です・・・・」と言っていました。最終的には3,4分の遅れで済みましたが、乗り換え時間は2,3分しかありません。 走る準備は整っていたのですが、幸いにも 接続を取っているので、2,3分遅らせて発車するとの放送が駅でありました。
 正常ダイヤでは130.7kmを1時間32分で走破。表定速度は85.4kmのハズでした。

 

1913M 山陽本線・赤穂線 普通三原行き  姫路 1005]→[岡山 1105 115系電車 4連

 1本先の、山陽本線経由の電車は、満員電車並みなので、同じホームの大阪寄りに停まっている電車で行くことにしました。この区間 は単線なので、列車待ち合わせなど、複線よりも時間のかかる要素が沢山あり、88.6kmを1時間50分かけ、表定速度は48.4kmです。かなり遅いです。
 4両のうち、中間2両は、117系からの改造である115系なので、転換クロスシート&2扉という115系にしては異色の編成です。たまたま乗ったのが、赤穂線経由で、しかも赤穂線は一度も利用したことがないので、乗り潰しの一環になりました。
 電車は相生から赤穂線に入ります。赤穂線は全線単線で、意外にも海が日生付近でしか見ることができません。そのほか、新幹線も見えるので、びっくりしました。途中の播州赤穂までは、新快速が一部乗り入れですが、それ以降は、長船までは、1時間に1本の運転となります。 途中駅は1線1面の駅が多く、乗り降りもさほど多くないようです。途中の日生では、15分ほど停車し、その間に車掌が検札に来ます。途中の長船からは、岡山方面に電車が発車し、ここからは、少しだけ列車の本数が増します。
 2日目に利用することになる邑久駅は、日本のエーゲ海といわれる、牛窓町への最寄り駅の一つです。2つ先の西大寺駅も、そこへの最寄り駅です。(ちなみに、関西人に西大寺、というと、近鉄の駅ですな・・・といわれます。) そこをすぎると、東岡山で、山陽本線と合流します。 ここから、岡山まではずっと新幹線と併走します。途中でレールスターに抜かれました。


 


三原行き 中間車は117系改造。このホームの岡山寄りに停まっている三原行きは大混雑


姫路  左の列車の中間2両の車内

 

  3149M 瀬戸大橋線快速マリンライナー29号高松行き 岡山 1234]→[児島 1257 223系・5000系電車 5連

  岡山駅の近くで食事をとります。去年も別の旅行でマリンライナーを使って、四国から渡ってきましたが、そのときはまだ、213系の天下で、今では223系が進出してきて、アーバンネットワーク同然です。 そんな223系(四国では5000系、ここでは、223系と言わせてもらいます)も、四国側にはグリーン車を設けており、 2階建てなのでかなりボリュームがありました。しかし、223系2000番台をベースとしているため、普通車の補助席の背もたれは、簡素な作りです。
 線路は 、岡山を出ると、しばらくは高架ですが、やがて、地上におり、複線と単線が混じってきます。このマリンライナーは、妹尾にも停車し 、瀬戸大橋トロッコ号とすれ違いました。そこをすぎると、トンネル区間が増えてきます。トンネル内では、 223系ならではの130km/h走行…と行きたいのですが、120km/hぐらい飛ばしていたような気がします。213系時代のマリンライナーとはかなりの違いです。茶屋町からは、宇野線が分岐していて、是非とも行ってみたい感じがしました。茶屋町を出ると、 トンネルをいくつもくぐり、児島に到着です。児島は、2面4線のホームで、JR西日本と四国の境目なので、ここを通る全ての列車が停車し 、運転手・車掌が交代します。

 


 
岡山  本州側の先頭車の223系


 
岡山  四国側の先頭車(グリーン車)の5000系

    児島にて

 児島駅を降り、バスを探していたのですが、どうもバスの時間がないので、タクシーを使うことにしました。4人なので、タクシーに乗った方が得なのです。おまけに、運転手の方が、良いところを知っていますから。
 てなわけで、瀬戸大橋の付け根の、下津井という地区にある、むかし下津井回船問屋という施設を見学に行きました。この下津井と言うところは、江戸時代に、北(蝦夷、日本海沿いの都市など)からの物資を、天下の台所、大坂へ運ぶ北前船が通るところでした。北前船のおかげで、日本海沿いの都市があるわけです。もちろん、その恩恵は、瀬戸内海にも及びました。この建物は、明治時代に中西家 が取得したもので、母屋や、ニシン蔵として使われていたそうです。それを使い、当時の道具などを展示・再現し、説明してあります。町並みも、昔のままで、行ってみる価値はあります。
 その後、回船問屋の近くの祇園神社を見ました。大分高台にあり、上るのがしんどかったのですが、ここ付近からの瀬戸大橋の眺めは抜群で、写真がきれいに撮れます。ちょうど、一日で一番暑い時だったので、地獄に近かったです。その後、児島駅近くの橋の博物館を見学し、 岡山駅を経由して倉敷へ向かいました。

 


 
祇園神社  ここからの眺めが良く、こんな写真も簡単に撮れます。


 
回船問屋前 外観はこんな感じ。当時の建物をそのまま使用。

  3162M 瀬戸大橋線快速マリンライナー42号 児島 1552]→[岡山 1615 223系/5000系電車 5連

相当暑い中を歩き回ったせいで、 めいってしまいましたが、構わず倉敷へ向かうことにしました。児島駅に着いたのですが、肝心の電車が来ません。どうやら、遅れているようです。 なんなんでしょうね。ふと考えたのですが、この先、223系はどこまで進出するのでしょうか? ひょっとして、西日本征服も夢じゃないでしょうね。

 


 児島 岡山行きのこんぴら列車

    2749M 山陽本線 快速サンライナー 岡山 1627]→[倉敷 1641 117系 4連

 岡山に着きましたが、予定外のコースをとったため、時間がありません。急いで乗り換えしました。サンライナーは、どうも岡山、福山間の都市輸送に徹していると思われます。車内は、ごくごく普通の117系で、特に変わったことはありませんが、前を見るとワンマンの表示が。実は、快速に見えてワンマン列車なのです。こういう風に、低コストの列車を走らせて、その分本数を増やすことは良いことだと思います。早く、他の線区にも広まればいいのですが。
 さてさて、倉敷までは1駅です。この辺りは直線で、117系は、元新快速用車両なので、110km/hぐらい 飛ばしてくれれば気持ちいいのですが、90km/h程度に抑えているみたいです。もう少し飛ばしてもいいと思うのです。

 

    倉敷にて
  倉敷駅は、案外大きいものですね。というのも、大きな駅ビルがあって、デパートがあって、ちゃんと、地方都市の感じがしました。駅から美観地区まではすぐです。商店街のアーケードを通り抜けると、美観地区です。
 倉敷は江戸時代に、備中の国中の物資が搬出される商業の中心地になり、蔵屋敷が建ち混んでいたそうです。江戸時代からの町並みを残し、文化庁から伝統的建造物群保存地区の選定を受けているエリアです。
 ぐだぐだと見学をし、日も暮れてきた頃なので、駅に向かいました。が、なにやら、今日泊まる、総社の方から雷の音が聞こえます。何か不吉な予感…。結局駅に戻る前に一雨やられました。
 

 


 倉敷美観地区 □ 中心を流れる倉敷川

 

    857M 伯備線 普通 倉敷 1806]→[総社 1818 115系4連
電車に飛び乗ろうとホームに行ったのですが、あいにく、行ってしまったすぐ後でした。仕方がないので、20分ほどまって、次の列車を待ちました。その間に、スーパーやくも、瀬戸内色115系、103系など、飽きない車両ばかりが来ました。
 倉敷を出ると、しばらくは住宅地が続きますが、それをすぎると、高梁川が寄り添ってきます。山が川のすぐ近くにまで迫ってきているので、道路と列車がかなり接近しています。そこをすぎると、清音です。清音の手前で、井原鉄道の線路が寄ってきて合流します。数分走ったところで総社です。夕暮れなのであまり駅周辺がどんなのかが分かりません。駅に着いたのは良いのですが、宿への地図が簡単すぎて分からないので国道の位置やなんだかやで、やっとたどり着きました。

 

 

      8月7日

  岡山・吉備路サイクリング
 今回、訪れている総社は、サイクリング・ロードが岡山まで整備されているので、自転車を利用しながら、今日の宿泊地、牛窓を目指します。精密に言うと、岡山の手前の、備前一宮までが自転車利用なんですが・・・。
 総社駅のすぐ近くにあるレンタサイクル屋で、自転車を借りて、一路、吉備路自転車道路を備前一宮へと向かいます。10分ほど行くと、作山古墳に到着です。作山古墳は県下2位の大きさだそうです。

 


□ 作山古墳 □
 

  それから、自転車をこぐこと、10分程度で、備中国分尼寺跡に到着です。ここは、聖武天皇が、全国に国分寺の建立を命じ、それに応じて作られた尼寺です。ここには、五重塔があり、かつて栄華を誇った時代には、奈良の法隆寺にもひけを取らないレベルだったそうですが、南北朝時代に、足利直義に軍が攻め上るときに消失してしまったそうです。

 


□ 備中国分尼寺 □ 国分尼寺の五重塔

 

 ここに到着するまでに、暑さでやられそうになっていたので、ここで休憩を取ります。春や秋などの季候の良いときだったら、いいかもしれませんが、あいにく訪れたときは夏の盛りでした。もし、夏に行かれるようでしたら、ご注意下さい。ここで、小休憩をとったあと、再び出発しました。次に訪れた造山古墳は、日本で第4位だそうです。頂上には荒神社がまつられており、古代吉備国の首長の墓とされるが、埋葬者は未だ解明されていません。
 その後、岡山市北部の足守まで足をのばしました。ここには、かつて足守藩が存在し、有名人と言えば、医学者、緒方洪庵が挙げられます。彼は、優れた蘭学者で、開いた蘭学塾の「適塾」からは、福沢諭吉などの有能な人材が育ちました。

 


□ 足守 □ 緒方洪庵像

 

そ して、岡山・賀陽自転車道を吉備線の方へと向かいました。そこまでは、ず〜っと川沿いを進むので、気持ち が良いといいたいのですが、出てくるのは汗だけです。その後、高松城跡に向かいました。この高松城跡は、織田信長の命令を受けた羽柴(豊臣)秀吉が水攻めを行った場所として有名です。
 またも、雷が鳴ってきたので、雨が降ってくると思い、急いで次の目的地、吉備津神社へ向かいました。吉備津神社は吉備津彦命を祭神とする古社で南北朝時代に焼失しましたが、1390年に再建されました。ゆっくりと見たいのですが、雨が降ってきてしまいました。そのため、商店の軒先に雨宿りさせてもらい、しばらくしのぎました。すると、雨が小降りになり、吉備津彦神社へ向かいました。
 吉備津彦神社は、吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祭神としています。
 ゆっくり見学したいのですが、また雨が降ってきたら困るので、早々と切り上げました。備前一宮駅に自転車を返した後、吉備線に乗りました。
 

 

    764D 吉備線 普通 備前一宮 1629]→[岡山1643  キハ40系列 2連
備前一宮から乗ったキハ40系は、リニューアル?車両で、窓がJR西日本の他のリニューアル車と同様のものに交換されていましたが、クーラーは、網棚を占領している、国鉄形のもので、効きが悪く、扇風機が手放せません。シートは2扉ロングシート(岡山方先頭車)で、こちらの車両では旅情気分は味わいにくそうでした。走りの方は、非常に鈍く、速度があまり出ません。フルノッチに入れているようですが、鈍いです。重たそうな感じで、岡山駅手前の高架区間を上るときには失速していました。それとは別ですが、吉備線は意外にも30分に1本は確保されています。やはり鈍い加速なので、6.5kmを14分を28.3km/hで走行しました。

 


□ 備前一宮 □

 

    1972M 山陽本線・赤穂線 普通 岡山 1700]→[邑久 1722 115系 3連

久々の電車なので、115系ですが、さっきのキハ40系がそれだけに、加速が良く感じられました。岡山駅では、スーパーいなばのキハ187系を見ました。こちらは、ディーゼル車とは思えぬほどの加速でしたが、その代わり、排気がすごかったです。

 


□ 岡山 □

 

    牛窓町にて
  7日の宿は、「日本のエーゲ海」とも賞される牛窓町にとってあります。到着したのが夜に近かったので、その海岸線は見られませんでしたが、運良く花火大会が行われていたので、宿のベランダからその花火を見ていました。旅先(これは旅じゃないぞ!)での花火も良いもので、ついつい写真を撮ってみました。私自身、花火の写真を撮ったことは一度もないのですが、シャッター速度を遅くして撮ろうとしましたが、蚊にかまれるといやだし、毎年行われるので今度行ったときの楽しみのためにもそのまま、撮りませんでした。帰ってからでも地元ではいっぱい花火大会がありますし。

 

8月8日

    引き続き・・・・牛窓町にて
早起きして海遊文化館に行って来ました。ここは、江戸時代に朝鮮との通信使、朝鮮通信使が寄港したところであり、また、古くから行われているだんじり祭りのだんじりを展示してあります。そこを見学してきました。当時の名残や文化遺産が残されているらしいのですが、時間の都合があるので、省略しましたが、ここ海遊文化館での展示物は撮影OK(フラッシュ禁止)なので撮影させて頂きました。その中でも、ブレていない(ブレの少ないもの)を一点、紹介します。

 


□ 海遊文化館 □ 岡山県指定重要有形民俗文化財にしていされているだんじり

    牛窓→西大寺 バス

 

    1913M 赤穂線・山陽本線 普通 西大寺 1138]→[岡山 1155 115系 4連

 

    岡山城にて
現在の岡山城は、再建であることを付け加えておきます。現在のは宇喜多秀家が城主であった金光宗高を滅ぼして修築したのがはじまり ですが、その後、川の流れを付け替えて、1597年に完成しました。秀家の築いた天守閣は、外壁が日光に照らされるとカラスの塗れ羽色によく似ていたため、烏城との別名があ ります。そんな岡山城も、第二次世界大戦による市街地空襲により焼失してしまい、現在の天守閣は1966年に造られた鉄筋コンクリート製ですが、なるべく当時の姿を再現しているという ことです。

 


□ 岡山城 □ 天守閣を望む


□ 岡山城 □ 天守閣から市街地を望む

 

    1318M 山陽本線 普通 岡山 1412]→[姫路 1541 115系 4連

    3490M 山陽・東海道本線 新快速 姫路 1546]→[京都 1713 223系 12連

 223系に乗ると関西に戻ってきたなという感じがつい3日前まではあったのですが、マリンライナーに乗ったことにより、その定説は崩れてしまいました。さて、久しぶりの関西圏での223系ですが、今まで乗ってきた115系などとは格が違います。もちろん、115系にも良いところはあるんですけど、なんとなく落ち着きます。しばし、130km/hの世界を堪能しました。こうやってみると、関東方面よりも西日本の方が圧倒的に多いような・・・関東も行きたいなぁ。と思った次第です。