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旅日記 第4回

名古屋・熱田神宮、テレビ塔、名古屋城

 
○はじめに
 今回の旅は、祖父母を連れて、名古屋の定期観光バスで行ってきたものです。愛知万博まで残り1ヶ月とちょっとで、万博ムードが高まる名古屋を旅行してきました。

 
1.熱田神宮

 熱田神宮では、三種の神器の一つの草薙神剣くさなぎのみつるぎをご神体としている。日本武尊やまとたけるのみこと が蝦夷討伐に成功し、大和に帰る途中、伊吹の賊を征伐の際、病を患い伊勢で没した。その日本武尊の妃、宮簀姫みやずひめ が剣を祭るために創建したと言われます。

 夏の暑い日でも、ここは涼しく、また、2005年の初詣ランキングでは、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師、伏見稲荷に続いて5位だったそうな。
 ちなみに、西行法師が言った句の中には、「これほど涼しい宮を誰が熱田と名付けた」というユーモラスな噂があります。

 

 ○大楠
 左の写真の大楠は、真言宗を開いた弘法大師・空海が手植えされたと言われる大楠です。

 名古屋市内では4番目に大きいとされ、樹齢約1000年、高さ約33mと、非常に大きく、巨木という名にふさわしいものでした。

 その他にも、神宮内にはこれとおなじくらい、またはもっと大きい楠がたくさんあり、名古屋市内の巨木Best10のうち、7本がここのものだそうです。


 

 ○信長塀
 京都・三十三間堂の太閤塀、兵庫・西宮神社の大練塀とともに、日本三大塀のうちの一つです。

 1560年、織田信長が桶狭間の戦いで、今川義元と対決する際に、熱田神宮で必勝祈願をして、見事大勝したことのお礼として奉納したとされています。
 
 

 

 ○本宮
 左写真の本宮は、1893(明治26)年までは、尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉納の社であることから、伊勢神宮とほぼ同様の神明造りに改められました。

 しかし、第二次世界大戦で、名古屋の市街地が爆撃されると、写真の社殿も破壊されましたが、1955(昭和30)年に増替されました。

 伊勢神宮の社殿は茅葺きですが、こちらは銅葺きです。

2.テレビ塔

 名古屋テレビ塔は、1954(昭和29)年に東海地方でテレビ放送が開始されるのにあわせて建てられました。使用された鉄材は約1000tで、神戸の造船所で作られ組み立てられました。

 それまで、東京や大阪では、テレビ局が各自、テレビ塔を建てて放送を行っていたのですが、ここは日本最初の集約電波塔として建てられました。

 都市景観を考慮して、パリのエッフェル塔をモデルに建てられ、地上から100mまでは一般客が立ち入りできます。(100mまでは階段で上がれるらしい)


 現在では地上波デジタル放送が始まり、大分離れた山手の瀬戸デジタルタワーから電波が発信されています。2011年にはデジタル放送に完全に移行するので、テレビ電波を発信するという役目は終えます。










 
3.名古屋城
 名古屋城は、徳川家康が東海道の交通の要所として、また大阪の陣への備えとして、1609(慶長14)年に、徳川家康が、北国・西国の諸大名20名に土木工事を命じ、約3年の歳月を経て1612(慶長17)年にほぼ完成しました。その後は、徳川御三家の筆頭、尾張家の居城として、明治維新を迎えるまで栄えました。

 明治維新後も、残されたわけですが、1945(昭和20)年の名古屋空襲の際に、小・大天守閣、本丸御殿などほとんどの建物を焼失しましたが、消失を免れた3つの櫓(西北・西南・東南)、3つの門(表二之門、急二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿の障壁画の大部分が、重要文化財として指定されています。

 
 ○西南隅櫓
 重要文化財で、名古屋城本丸の西南(未申)の隅に建つ櫓で、未申櫓とも言われる。

 1891(明治24)年の濃尾大地震によって、石垣ごと崩壊したが、宮内庁によって修理修復され、その面影で鬼瓦などに菊花紋が見られます。

 今のところ内部は未整備で、公開の予定はないそうだが、西、南両面には石落としを設けるなど、今後の公開に向けて期待が持てる。



 
 ○表二之門
 古くは、南二之門と言われ、枡形の外側に位置する高麗門で、門柱・冠木とも鉄板張りであり、用材は木割が太く、堅固に造られています。

 裾堀は、土塀で、鉄砲狭間を開いて、"要塞"といった雰囲気を醸し出してくれます。




  
 ○東南隅櫓
 名古屋城本丸の東南の方角(辰巳)の隅に建つ櫓で、別名辰巳櫓とも言われる。

 規模、構造は西南隅櫓とほぼ同じだが、東側の屋根に唐破風をつけ、出窓が石落としになっています。この櫓は、創建当時の姿を伝え、鬼瓦などに葵の紋が見られます。

 国の重要文化財に指定されている。


 
 ○天守閣
 名古屋城の天守閣は、天主台を加藤清正が、建物を小堀遠州が担当して1612(慶長17)年に完成した。地上5階、地下1階あり、大きさでは江戸城、大阪城には及ばないが、延べ床面積は史上最大で、姫路城の2倍はあ ります。

 1945年の名古屋空襲で焼けてしまったが、1959年に、鉄筋コンクリート造りで再建され、現在の姿で残っています

 ※私が行ったときは、鯱をおろすためのクレーンが邪魔でした。屋根から一旦おろして、地上で展示するそうです。バスガイドさん曰く、過去に降ろそうとしたときには、何かが起こるらしいです・・・

 

4.官庁巡り
 名古屋城の外堀と内堀の中には県庁や、市庁が立ち並ぶ官庁街となっています。バスの窓から見えて、私が写真を撮った分を掲載しておきます。
 
 ○愛知県庁
 現在の県庁は、前の県庁の老朽化に伴い、1935(昭和10)年に着工されました。計画自体は大正14年に持ち上がったそうなのですが、議会に上げる度に、否決されたり、財政難などにより、延期され、ここまでずるずるとのびたわけです。

 しかし、そういった間にも、周りの経済は刻々と変化し、鋼材などの、建築資材の高騰、日中戦争の勃発などによって、工期が半年も延長という事態になり、困難を極めた事業であったとされています。



 
 ○名古屋市庁舎
 1933(昭和8)年に建築され、設計は当時の市の建築課が行ったとされています。

 庁舎は、鉄筋コンクリート5階建てで、近代建築に、"どん"と和風の屋根が乗っかっている格好の「帝冠様式」という建築で、そのおかげで凄い存在感があふれております。





 名古屋市西庁舎の角に植えられた植え込みを、こういう形に切りそろえ、目とか口とかをつけてやると、2005年の万博(愛知博)のキャラクターの「モリゾー」と「キッコロ」ができるわけです。
 かなり手入れが大変でしょう(笑)