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葵紋 旅日記[10]
夏の飛騨・富山初訪問(市中篇)(Vol.3)
  【岐阜県高山市】
○飛騨国の天領とは?
 元禄5(1692)年に高山城主であった金森出雲守頼が出羽国に領地替えをした後に誕生しました。
 豊富な山林の資源に注目して天領になったといわれましたが、年貢の徴収率を緩和されるということはありませんでした。
 以後1868年の廃藩置県まで天領が存在しましたが、飛騨県、高山県となり、筑摩県に編入された後、岐阜県となりました。

高山陣屋とは
 1692年に直轄領となってから、お役所として使用されました。明治維新後は直轄領の役所としての役目は終えましたが、陣屋の建物は県の事務所として使用され続けました。
 1969(昭和44)年には県の事務所が移転し、現在のように開館されました。

3.高山陣屋
表門
表門
 1832年に領民の負担で建てられました。当時から移築などは行われていません。

御白洲
 こちらの御白洲は北側に位置します。金銭関係や土地、相続など民事事件の裁判を扱いました。
 しかし、裁判が行われる一方、善い行いをした者に対しての表彰なども行われました。
御白洲
御白洲
 こちらは刑事事件を扱った御白洲です。代官には軽い犯罪程度しか罰する権利が無く、殆どの刑事事件は江戸勘定奉行所の判断を仰がねばなりませんでした。 
 写真左側のすのこのようなもの(責台:上を向いた三角形状になっている)の上に抱石(一つ40kg)を載せられて拷問されます。
 江戸に運ばれる囚人は籠に入れて運ばれました。
書役部屋
書役部屋
 現在で言う事務室の役割をしています。陣屋の中で南に位置し、最も明るい場所を選んで部屋を取ってあります。 
湯呑所
湯呑所
 ふちのない琉球畳で構成された部屋です。役員達がお茶などの飲み交わすのに使われたと言われています。
女中部屋
女中部屋
 湯呑所と同じく、琉球畳で構成されています。
 女中さんに早く起きてもらうためか、雨戸がありません。
天井
天井
 畳廊下の天井です。かつて県の事務所として使用していた時代は、天井に白い塗装を施していたときの名残です。
廊下
廊下
 上にある欄間のようなもので、プライベートと仕事の間を区切っていたそうです。


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